桐朋中学校・桐朋高等学校
突き抜けた才能を生みだす土壌を、耕し続ける教員たち
「自由は自主の土台」。ある日、そう語ったのは卒業生。自由があるからこそ、自主が成立する。その自由を支える土壌を耕し続けている教員たちの学び舎を訪ねました。
今回、桐朋を取材してもっとも強く印象に残ったのは、「自由を成立させるために払われている労力」の大きさです。自由な学校というと「面倒見が悪いのでは」と見られることもありますが、本校の印象はまったく逆でした。生徒が失敗したときに、それが次につながる「いい失敗」になるよう、教員たちは環境を絶えず整え続けています。悪い失敗にならないよう整備する労力は、トップダウンで管理することよりも、はるかに骨の折れる仕事なのではないでしょうか。これからご紹介していくのは、一つひとつは決して派手ではないけれど、足し合わせれば膨大な労力と細やかな心配りが、生徒の「自主」のために静かに注がれている――そんな現場のお話です。
多摩地区で唯一の男子校
桐朋中学校・桐朋高等学校は、東京都国立市にあります。多摩地区で唯一の男子校です。
"国立は遠い"というイメージを持たれる方も多いかもしれません。しかし、浦和、新宿、町田、武蔵小杉といった主要なターミナル駅から、いずれも校門まで1時間圏内です。実際、桐朋の在校生の通学範囲は広く、多方面から生徒が集まっています。
国立駅から大学通りを南へ。桜並木と銀杏並木の風景のなかを、桐朋の生徒たちが歩いていきます。OBでもある校長は、この通学路が生徒たちの思い出の一部になることをよく知っています。
自由と自主とは
桐朋を語るとき、まず出てくる言葉は「自由」という印象があります。しかし本校が大切にしているのは、そこからもう一歩踏み込んだ「自主」です。
──自由と自主の違いを、どう伝えていらっしゃいますか。

そう切り出した校長は、この卒業生の受け売りで申し訳ないと前置きしつつ、その言葉のよさを丁寧に説明してくれました。「自由」という安全な環境があるからこそ、遠慮せずにやりたいことをやろうという発想が生まれます。
ただし、入学した瞬間から全員が自主的に動けるわけではありません。けれど周りには、自分の関心に没頭している先輩や同級生がいる状況があります。「ああいうふうに動いてもいいんだ」と気づき、自分なりに一歩を踏み出してみる。桐朋の自主は、そうやって少しずつ立ち上がっていくものでもあります。足を引っ張る空気はなく、動こうとすれば誰かが応えてくれる。そんな土壌があります。
そして、この「自由」を成立させているのは、先生方の見えない労力です。生徒に好きに歩かせますが、転んだときにそれが「いい転び方」になるように、教員が常に環境を整え続けるという見えない土壌があります。自由な学校はしばしば「面倒見が悪い」と思われがちですが、実態はその真逆で「面倒見が良すぎる」だと感じました。
戦後の出発と、合意で進める文化
桐朋の前身は、軍人子弟のための学校としてスタートしました。戦争に区切りがついたあと、学校をなんとか次の世代につなげたいと懸命に取り組まれた方々がいて、ご縁ができたの が、当時の東京文理科大学(後の東京教育大、現在の筑波大)の先生方でした。校名の「桐朋」は「桐の朋」、つまり東京文理科大学・東京高等師範学校の校章の桐から取られ、その朋友ということでこの名が付いたと、原口校長は教えてくれました。
初代校長は哲学者の務台理作先生です。戦後の教育改革の中心を担われた方で、戦前の反省に基づいて、自分の判断で、自分たちで、より良い社会を作っていく力になるような教育を作り上げていこうとされました。
この戦後の出発が、今の桐朋にも生きています。校長をはじめとした役職者は立候補制ではなく、全教職員の期待と信託に基づく選挙によって選ばれます。皆の合意のもとで進めていくのです。

と冗談めかしますが、それは桐朋が当初から大切にしてきた決め方の文化です。
合意形成という決め方は、思っている以上に手間と時間がかかります。それでも本校は、その手間を惜しまずに歩んできました。教員自身が納得するまで話し合って物事を決めているからこそ、生徒に対しても「自分たちで考え、合意して決めなさい」と委ねることができるのでしょう。
余白で生みだす新たな学び
桐朋には、40年以上続く「特別講座」という任意参加の講座があります。中1から高3まで対象の講座は、教員一人ひとりの専門や関心が前面に出る場でもあります。近年は1回完結の短期特別講座も加わり、参加のハードルを下げる工夫も進んでいます。
「四次元ポケットの脆弱性」「団地に住みたい」「村上春樹とチャンドラー 翻訳と文体づくり」「ヒラメの進化」「インド風カレー」。並ぶタイトルだけでも、その自由さが伝わってきます。
桐朋は2021年度に、週時程を35時間から34時間に減らしました。この1時間を削ったことが、生徒の自由な学びを促進するだけでなく、教員たちの側にも余白を生みました。授業準備や生徒対応に追われがちな日常のなかに、新しい講座を構想したり、自分の専門を持ち寄って何かを立ち上げたりする時間が生まれたのです。
三年間の自由研究が育てる、自律した学び
桐朋の中学では、全学年で「自由研究」が必修です。中1から中3まで、夏休みに一つのテーマを決めて作品にします。形式は研究レポートに限りません。工作、書道、美術、音楽、文学。3年間かけて一つのテーマを掘り下げる生徒もいれば、テーマを変える生徒もいます。
作品は6月の桐朋祭で展示され、11月の自由研究展示会でも公開されます。教員のコメントは具体的で、ときに厳しい。「考察が浅い」「もっと文献資料をあたれ」。本文より講評のほうが長いのではないかと思えてしまうこともあるそうです。褒めて終わるのではなく、次へ進ませる熱い講評の文化が、毎年全学年分続けられています。
卒業生の「お金」が、後輩の挑戦を後押しする
桐朋の自主の土壌を、もうひとつの面で支えているのが、卒業生たちの存在です。なかでも象徴的なのが、「桐朋ゆめチャレンジプロジェクト」と呼ばれる支援制度です。
これは、卒業生たちからの寄付を原資として、在校生一人につき上限30万円までの活動費を出す仕組みです。生徒がさらに挑戦したいと思ったときに、お金の問題で立ち止まらないように、卒業生たちが資金面で土台を作ってくれています。2025年度は応募者27名、9名が給付対象者となりました。

採択された生徒のプレゼンテーションも、なかなか痛快です。中1から高3まで1,200日・25,000枚もの写真を撮り続け、学校の敷地内だけで121種類もの鳥を確認した生徒は、高1のときに、これ以上研究成果を上げるには最も高性能なカメラが必要だとプレゼンして30万円を獲得。あまりに本格的な機材だったため、社会人の鳥仲間からは「なんで君はそんないいカメラを?」と驚かれるほどでした。
日本選手権で活躍する陸上競技の生徒は「もう一歩上に行くには体のメンテナンスにお金がかかる」と訴え、コンディショニング費用に充てています。
昨年度は、ゴリラの研究をしている高校2年生が、支援を受けたあと、本校卒業生でもある東京動物園協会理事長につながり、さらに紹介で上野動物園のゴリラ飼育課長と直接やりとりできるところまで活動を広げています。お金だけでなく、人の縁までもがプロジェクトを通じて動き出していくのです。
そして支援を受けた生徒は、次にエントリーする後輩のためにレクチャーをし、相談にも乗ります。卒業生から在校生へ、在校生から後輩へ──お金が、人を介して、次の挑戦を呼び込んでいく。母校の先輩たちが、突き抜けた才能を開花させるための土壌を、少し離れた場所から、進む道を耕してくれているのです。
やりたいことに没頭した先輩たち
理科教科教室棟の屋上、天文ドームには、口径40cmの反射望遠鏡があります。地学部の生徒たちは、「夜間観測だ」と言って校内に泊まり込み、月や惑星の観察をすることもあります。そして、この天文ドームと、桐朋の理科教育を象徴する人物がいます。

医学部志望の生徒を支えるのが「桐朋医学の輪」というOBネットワークです。後輩を支えたい卒業生の声から立ち上がった仕組みで、OB医師や医学部生が大学を越えてつながっています。「本当に医学部でいいの?」「入ってからが大変」と、覚悟を問う言葉が並びます。夢を煽るのではなく、その先の覚悟まで持ってほしいという卒業生の思いが込められています。
大学医学部見学も実現しています。約30名の生徒が訪問し、桐朋出身の医学部生と昼食を囲んで交流したあと、ベテラン教授による問診レクチャーを受けます。圧巻は、大学の理事長自らが案内する附属病院の見学。集中治療室、手術室、そして屋上にドクターヘリが着陸した直後の救急救命センターも見学しました。命を救う現場の空気が、進路の理解と覚悟をさらに一段深めてくれます。

生物の世界では、シジュウカラが言葉を話していることを研究で示した鈴木俊貴さんも桐朋の卒業生です。その鈴木さんが、母校の生物部の後輩を指導してくれています。生物部はその後、日本鳥学会・日本蟻類研究会などでポスター発表を行いました。

教員や生徒が「作りたい」と言えば作る
象徴的だったのが、新校舎を建てるときのプラネタリウムをめぐる議論でした。授業で使うのは年に数回。安くない建築費。「そこまでして必要なのか」という声もあがるなか、理科の教員たちは一歩も退きませんでした。「今できていることを、これから入ってくる生徒たちにはできない、そんな環境にしてしまっていいのか」
この問いかけに教員全体が動かされ、新校舎にもプラネタリウムが据えられることになったのです。
導入されたのは4K規格のデジタル式で、時代を遡った古代の地球から見た夜空や火星から見た天体を映し出すこともできます。地学部の生徒たちは自作番組を制作し、桐朋祭での上映会も行うなど、生きた学びの場として機能しています。
みや林と、不思議な人たち
学内を歩いていると、桐朋の生徒たちのユニークさが、顔を出します。
開校当初からの雑木林「みや林」は、生物部の研究の場です。トレイルカメラで夜の鳥や小動物が記録され、2か月に1度は生物科の教員が付き添い、夜9時頃まで観察を行うこともあるそうです。教員にとっても授業の枠を超えた関わりを当然のように引き受ける文化が、本校にはあります。
ある生徒はみや林の地面にへばりついてアリを観察し続け、併設する桐朋学園小学校の児童から「アリのお兄さん」と呼ばれていたといいます。
校舎が新しくなっても、みや林だけは昔の面影のままです。久しぶりに訪れた卒業生が「建物は変わったけれど、みや林は変わらないなぁ」と懐かしむそうです。
桐朋祭という、ひとつの結晶
桐朋祭は、学校が公式に「本校最大の行事」と位置づける文化祭です。例年の来場者数はおよそ1万人。委員会は前年の桐朋祭が終わるとすぐ次年度に向けて動き出し、半年以上かけて本番を準備します。
桐朋祭では、大賞をはじめとする各賞が来場者の投票で決まる仕組みになっており、2年連続で大賞を生物部が受賞したり、鉄道研究部、化学部、地学部も上位に入ったりしています。
ある年、印象に残ったのは、文系の高校3年生たちによる「物理基礎>物理」というユニークな展示でした。理系の生徒が学ぶ「物理」という教科よりも、自分たち文系が学んだ「物理基礎」のほうが奥行きと広がりがあることを「文系として証明してやろう」という発想からのスタートでした。桐朋には物理部がないという事実に、文系の高3が逆に奮起したかたちでした。

物理の先生が、生徒の活動にいい意味でサポートをし、知恵を貸していたそうです。生徒の突拍子もない発想を、頭ごなしに否定せず、けれど学術的に成立させるところまで併走する。ここにも先生方の労力が静かに注がれています。
生徒たちがやりたいことに、先生たちは、こっそりと必死で応える。その応答の積み重ねが、毎年6月に結晶するのです。
(桐朋祭の2026年度の一般公開は6/6.7)桐の朋、という名前
桐朋という名前の「朋」。これは、生徒同士が朋(仲間)であるだけでなく、教員同士も、卒業生と在校生も、互いを朋として尊重しています。合意で進める文化、卒業生が後輩のために時間を使う文化、卒業生が後輩の挑戦に資金を出す文化、教員が生徒のやりたいに応える文化。それらはすべて、「朋」という関係性の表れなのかもしれません。
務台理作初代校長が掲げた「自主・敬愛・勤労」の三つの言葉。そのうちの「敬愛」が、ともすれば見過ごされがちな桐朋の核を支えているように感じます。自由は自主の土台。そしてその自主は、互いを敬愛する関係のなかで育つのでしょう。
土壌を耕すのは、本校に関わるさまざまな誰かです。教員、卒業生、そして先輩としての生徒。彼らの手によって柔らかく保たれた土に、突き抜けた才能の芽が一つ、また一つと顔を出していきます。
「私はたっぷり時間がありますから」——原口校長のそのお言葉に甘え、当初1時間30分のインタビューは気づけば2時間に。そのうえ、30分かけて校内までご案内いただきました。
食堂で、図書館で——自習をする生徒たちの姿が、ごく自然な風景として穏やかに広がっています。すれ違う桐朋学園小学校の児童から「あ、校長先生」と気さくに声がかかる、その距離の近さ。立派な施設だけでなく、こうしたあたたかい空気感が桐朋には、自然に流れています。
今回の記事には盛り込みきれなかったエピソードも、まだまだたくさんあります。帰り道、ふと「また訪れたい」「ここに通えたら」と思わせてくれる——そんな学校でした。